
1971年生まれ、東京育ち。
本名、佐藤京二郎。
高校~大学時代はラグビーに打ち込み、
就活時期にさしかかると普通のサラリーマンになるのが嫌で、
趣味だったサーフィンを仕事に。
30代の半ばに差し掛かると
「人生において働ける年齢は70歳まで」と考えるようになり、
残りの半分はサーフィン以外の何かを極めて
日本一になろうと一念発起。
サーフィンは続けたかったので海のそばでできる仕事を考え、
製塩職人の道に。
道を極めるなら日本一の職人のもとで修業したいと、
高知県・黒潮町で完全天日塩を作っていた吉田猛氏に師事。

2年間の修行を経て独立を決意し、
自身の製塩所を構えるため
高知の海沿いの町にアプローチするが、
どの町にも耳を貸してもらえず。
「日本一の塩を作りたい」という想いに
唯一耳を傾けてくれた田野町に製塩所を構えることに。
場所が決まると
「自分を引き受けてくれた恩に報いるためにも
田野町を背負って世界に出ろ」と、
師匠から屋号「田野屋塩二郎」をもらい旗揚げ。

それから塩を作り続けること約10年間。
2000種以上の塩を作り、
塩を自在にコントロールできるようになり
オーダーメイドの塩作りにも着手。
「もうこれ以上の塩は作れないな」
と思えるくらいの塩を作れるようになった現在の目標は、
独自の技法を手に「田野屋」の看板を背負って
巣立っていく後進の育成。

日本国内で流通している塩のほとんどは、機械でろ過した海水を釜で炊き上げて蒸発させる方法で作られています。
塩二郎の塩は完全天日塩と言い、太陽光と潮風の自然の力だけで作られますが、天日塩の作り方にも違いはあります。
一般的な方法は、採かんタワーを利用する方法。
採かんタワーとは、網状になったネットを内側に張り巡らせた高さ数メートルのタワーのこと。
ポンプで汲み上げた海水をそのタワーに向けて放水すると、放水された海水がネットを伝って下に落ち、落ちていく間に太陽と潮風に晒されて徐々に蒸発します。これを繰り返すことにより高濃度の「かん水」が作られ、かん水から天日塩をつくるのが大半です。
塩二郎の製塩所にも採かんタワーはありますが、塩二郎は採かんタワーを使わずに塩を作ることがほとんど。

その理由は、合理性を優先して塩作りの工程を増やせば増やすほど不純物が加わる上、海水に含まれる養分を損なってしまう為。採かんタワーを利用すれば1~2ヶ月程度で塩ができますが、塩二郎のように太陽光と潮風のみだと最低でも3ヶ月という時間を要します。
毎日欠かさず、1~1.5時間おきにビニールハウス内の木箱に入った海水を、手でやさしく攪拌します。
まるで、生まれたばかりの我が子を撫でるような優しさで。
塩二郎の塩は、海水と塩二郎の愛情のみで育った素直な子供たちです。